2018年3月19日 (月)

彼岸の入り

彼岸の入りご先祖様、梅も綻び始め水仙が枯葉を押し上げ花を咲かす💐青菜の緑も鮮やかだ。ご先祖様と共にいつでも富士に抱かれている。生かされている奇跡、ありがたい。

2013年7月21日 (日)

地球風(特別編)フィンランド紀行3

デザイン都市

 

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物を持たないこと。

編集者のEさんが、そう教えてくれた。

「野村くん、これだけは守って。物は出来るだけ買わないように、僕の人生を賭けて言うけれど、物が増えれば増えるほど、人間は堕落する。もし風のように自由に人生を駆けまわりたいなら、物は出来るだけ持たないこと」

これがあったら便利だなぁ~と思うものは、世界にゴロゴロとある。でも、ひと手間加える、一工夫すれば、それらはいらなくなるものが、沢山ある。そんなことをEさんは教えてようとしてくれたのだろう。今も僕を支える、心の根幹だ。

でも、でも、どうしても欲しいもの。それを置いておくと嬉しくなるものは買ってしまう。

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ヘルシンキは、世界屈指のデザイン都市だ。

今日は、朝、フェリーに乗って1時間半、エストニアのタリンへ行ってきたが、洗練されたフィンランドと違い、どこかロシアの香りが漂っていた。

夕方、ヘルシンキの街を散策する。

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お気に入りは、デザインフォーラム。

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北欧中の若手デザイナーが、珠玉の一品を出品しているのだ。

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このフェルト地の袋は、ipad入れかな?

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テーブルセットやローソク立て。

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その脇では、何故かムーミンのミーの笑顔し、ミーのお母さん?のマグカップが置かれていた。

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ここまでは我慢が出来た。むしろ余裕だった。でも、でも、このグラスの前で、沈没した。

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シャンパングラス。それもガラスの下部が、面白い泡模様になっている。真下からのぞくと、ウェディングドレスのスカートみたい。

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一目ぼれ。それも文房具と酒器(主に杯)好きな僕は、完全にノックダウン。購入させて頂きました。

さて、帰国したら、どんなシャンパンを注ごうかな?

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2013年7月14日 (日)

地球風(特別編)フィンランド紀行2

 
「 写真の力」

 

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「Every day is a journey. and the journey itself is home」

まさかヘルシンキで、この言葉を見られるとは・・・・。

世の中にあまたある書籍。その中で最も美しい書き出しは、松尾芭蕉の「奥の細道」だと、僕は思う。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす」

上記は「日々旅にして、旅を住みかとす」の英訳だ。

ヘルシンキを散歩中、一枚のポスターに目がとまった。そこには、世界で最も有名な写真の一枚が、印刷されていた。赤いブルカをかぶり、背後は褪せたグリーンの木壁。緑色の少女の瞳がまっすぐ僕を捉える。

TAIDE HALLで開催されている、その写真展へ向かわずにはいられなかった。

ナショナルジオグラフィック。言わずと知れた世界最高峰の月刊誌。その緻密な取材と、圧倒的な写真で、時代をリードしてきた。

ナショナルジオグラフィック専属カメラマンとなり、世界中を駆け巡った伝説の写真家スティーブ・マックリーの展覧会だ。

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入場料を支払い、中央の階段を上っていくと、有名な赤いペイントをした女性写真が迎い入れてくれる。

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マックリーの代表作が、次々と並ぶ会場。そこに添えられた、偉人の言葉。マザーテレサやマンデラ、そして日本が誇る俳聖、松尾芭蕉。

隣の部屋には、2枚の写真だけが、ポツンと置かれていた。

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今から28年前、ソ連によるアフガニスタン侵略で両親を失いパキスタンの難民キャンプにいた少女、スティーブはそこで彼女と出逢った。もう一枚は17年後、彼はアフガンで彼女を探し出し、同じポーズで撮影したものだ。

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写真は印画紙に焼いて初めて分かることがある。

緑だと思っていた瞳の中には、黄色やオレンジも混ざり、まるで虹の瞳のようだ。

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そして雑誌からは伝わらなかった、凛とした迫力が波のように伝わった。

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会場で流されていた映像には、世界初のスライドフィルム・コダクロームの最後の一本を彼がニューヨークとインドで撮影していくという、素晴らしいドキュメンタリーだった。

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会場を後にして、ヘルシンキ郊外の湖水地帯へ。

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白夜の光が、森を照らし、みな黄金に光り輝いていた。

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ボートの舳先に座る犬、釣りをする人々。

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そして、ふと見上げると、白夜の中、大きな満月が昇ってきた。

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2013年7月 7日 (日)

地球風(特別編) フィンランド紀行1

フィンランド

 

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いつ頃から憧れていたのだろう?

僕が小学生だった頃、父は仕事で3週間ほど家を空けた。向かった先は、スウェーデンとデンマーク。オリエンテーリングの講習だった。

帰国後、父からのお土産を片手に、たくさんの思い出話を聞いた。自分の生活とは全く関係ないように思える国、でも父が旅したことで、僕と見知らぬ国が少しだけ近づいた。

大人になり、世界中旅するようになっても、物価の高さや時期などが合わず、なかなか機会は訪れなかった。

南アフリカに住み始めてから2年、ヨーロッパが近いこともあり、6月の北欧へ向かうことにした。

父に話すと、「お母さんを一度北欧に連れていってあげる」と約束したから、と一緒に旅することになった。

僕は南アフリカからフィンランドのヘルシンキへ、父母は中部国際空港からフィンエアーの直行便で。

風薫る6月、フィンランドは一年で最も良い季節を迎えるという。

ケープタウンからイスタンブール経由でヘルシンキへ。飛行機は、日本三景の松島のような多島海の中へ徐々に高度を落としていく。眼前に針葉樹の深緑の森が迫ってきた。まるで森の海のよう。飛行機は旋回し、最終着陸態勢に入ると、緑がどんどん近くなり、ポツポツとシックなログハウスが見えてきた。

記念すべき、90ケ国目のフィンランド。

上空には風が強いのか、青空に鎌状の雲が流れていく。良い天気だ。荷を下ろし、街を散策すると、スオミ(フィンランド人の自称)たちは、至るところで、太陽の光を謳歌していた。大声はあまり出さず、ヒソヒソと話すその姿に、ここもアラスカ同様、極北の国だと実感した。

それにしても、圧巻だった。

金髪に青い瞳、まるで血管が透けて見えるような純白の肌、北欧の妖精のような美女が、ヘルシンキには、うじゃうじゃいた。こっちも、あっちも・・・・、お陰で首が痛くなる。

手元の携帯に、友人からメールが入った。

「ヴァイキングの娘たちに、くれぐれも惚れないように」と。

惚れました。完全に。というか、イタリア、ブラジルなども美男美女国だと思うけれど、フィンランドのそれは群を抜いていた。

 

父母よりも一日早くヘルシンキ入りした僕は、ログハウスメーカーの雄、ホンカへ。物価高のフィンランドは最も安い軽クラスで、レンタカー代は約1万円。泣く泣く借りて、ヘルシンキから高速道路を30キロ北上した。

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アカシアやタンポポの綿毛が、宙に舞う。牧草地が広がる中、左手にホンカが見えてきた。敷地内に入ると、まず素敵な教会ログが出迎えてくれる。

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昔、富士で住んでいたようなログハウスもあり、懐かしさがこみあげる。

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そして、僕はある家に一目ぼれしてしまう。

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でも、中へ入ると、なんだか様相が違う。焼いた石が置かれ、蒸し暑い。

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ここは家ではなく、サウナ専用だったのだ。

でも、こんな形で家として売り出せば、日本で結構需要があるんじゃないかな?

ひとつ、またひとつとログハウスを見ていくと、暖炉の多様性に惹かれた。最新式の物から、銅板を叩いて作ったもの、そして生まれて初めて大理石で作られた暖炉まで。

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日常の一部だからこそ、自分の好きなものを、一緒にいて心地いいものを。パタゴニアに住んでいた時は、毎日暖炉に火をくべていた。火の思い出は心の深くに刻まれるような気がする。それは僕たちの遠い先祖から狩猟採集民時代から続いてきた、DNAの旅のようなものかもしれない。

シンプルな冷蔵庫、そして椅子。

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北欧家具に僕が惹かれるのは、付け足すデザインではなく、引くデザインだから。削いで、削いで、最後に残ったシンプルなもの。これが北欧の真髄だと思っている。

行きつく先は、「シンプルイズベスト」。

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そしてホンカ展示場で、最も感動したものは、敷地内の端にある古いサウナ部屋。日本のように洗練はされていないが、どこかに人の手が見える。温もりが感じられる。

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家は歴史を刻む場所。そして家と共に、人間も成長していくのだろう。

ホンカから去るときに、何か温かいものが、僕の心に灯された。

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それは、どこか森の香りがした。

                 ノムラテツヤ拝

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2013年5月26日 (日)

至高の旅ナミビア (地球風25回最終回)

 (アフリカ大陸)

 

 南アフリカに移住しながらの撮影を続けているが、現在最も心惹かれる場所、それがナミビアだ。日本ではまだマイナーな国だが、そのポテンシャルは底知れない。

 向かう先は、ナミブ砂漠の再奥地、ソススフレイ。

 空撮で撮影すると、こんな風景が広がっている。

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 アプリコット色の砂丘が天へ伸び、その陰影は見る者を魅了する。

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 そして朝日と共に、絵画のような風景が現れる。

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 ここはデッドフレイ。雨季には湖となり、乾季には大地が純白となる。

 動物たちも多様。ネコ科のカラカルがブッシュの中からこちらを凝視していると思えば、木陰からヒョウの姿も。

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 そして特筆すべきは、生きる化石と呼ばれるウェルウェッチアの存在。なんと2000年も生きている植物なのだ。

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砂漠の民は、凛とした佇まい。

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 ナミブ周辺にだけ生息するキヴァ―ツリーと天の川が美しく重なりあった。

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                  野村哲也拝

 

 

 

2013年5月18日 (土)

ペンギンロード(地球風第24回)

       (南極大陸) 

 

 

聖なる大陸、南極に到着してから3週間。

 

 空には雲が重くへばりついている。エンジン付きボート、ゾディアックに乗り込み、今日も南極の大地を踏みしめる。

 

 ふと足下に視線を移すと、雪面に不思議な線が刻まれている。その先には沢山のペンギンが歩いていた。

 

 彼らは、自分の巣から海へ出かけるとき、同じ道を常に通り、圧雪しながら「ペンギンロード」を作り上げる。エッホ、エッホッと進んでゆく彼らの背中をぼんやり眺めていた。

 

 一歩、二歩、三歩、次の瞬間、頭から見事にこける。あっぱれな転び方に思わず笑ってしまう。恥ずかしそうに立ち上がり、また歩いてはこける。その繰り返し。

 

 ふっと疑問が浮かんでくる。

 

 ペンギンがフリッパーと呼ばれる「手」を広げて歩くのは何故か。バランスをとっているためではないのか?

 

 近くにいたナチュラリスト、リズに聞いてみる。

 

 「ペンギンはどうして手を広げて歩くのですか?」

 

 彼は微笑みながら、ゆっくりとした口調で答えてくれた。

 

 「手を広げて歩くのは、熱を脇から放出するため。今の気温はマイナス10℃、ペンギンにはまだまだ暑いのさ。もしマイナス40度まで下がったら、ペンギンは手を脇に擦りつけるようにして歩いてゆくよ」

 

 南極には、多くの生命が息づいていた。沢山のペンギン、オキアミなどの甲殻類、そして海を黒く染めるほどのプランクトンたち。

 

 今この瞬間も、ペンギンはどこかの氷山を歩いている。

 

 この遠い世界と僕たちの世界は、同じ「とき」によって繋がっている。

 

 ペンギンが一歩一歩あゆむごとに、時間も止まることなく一瞬一瞬刻まれてゆく。

 

 流れゆく時の中で育まれる、沢山の生命に思いを馳せると、生きとし生けるものは全て、それらを取り巻く自然によって生かされていることを実感する。

 

 この壮大な“生命のゆりかご”というべき南極大陸はこれからどこへ向かっていくのか? 

 

 それを見届けたい・・・

 

 そんな思いに駆られながら、僕はペンギン大陸をあとにした。

 

                         ノムラテツヤ拝

 

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南極は蒼の大陸だった

 

 

 

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子供のジェンツーペンギンがやってきた

 

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そのままうつ伏せで寝てしまうペンギン

 

 

 

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ペンギンの凛々しい姿を撮影したい。その想いが叶った

 

 

 

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南極には無数のペンギンロードが刻まれている

 

 

 

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子供に餌を与えるため、必死に駆けるお母さんペンギン

 

 

 

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プランクトンの多い海は生命の宝庫。ザトウクジラがやって来た

 

 

 

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これだけのペンギンを生かしていける。それが豊饒な海の証

 

 

 

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ペンギンは親離れしてから、一人旅に出る。世界を自分の目で見に行くのだ

 

 

 

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あなたが見ているこの瞬間、ペンギンもどこかで生きている。天から平等に与えられたもの、それは今一瞬のこの時間

 

2013年5月12日 (日)

現代のインディージョーンズ(地球風第23回)

     ペルー(南米) 

 

 

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アンデス考古学の歴史、文明の歴史が、今、変わろうとしている。

 

20074月、アルバ博士はベンタロン遺跡を見つけた。C14で年代測定すると、約4500年前、最深部は5000年を超える結果が。

 

「地形、海産物、気候、そのどれもが揃っている場所、それが北中南米の中で、ランバジェーケだったのです」とアルバ博士が、北中南米最古の遺跡の理由を簡潔に説明してくれる。

 

今、アンデス考古学は、転換の時を迎えている。

 

まず、数年前にさかのぼり、女性考古学者シャーディー博士がカラル遺跡を見つけた時から、話は始まる。今まではアンデス考古学は、どう遡ってもチャビン時代の3000年前が最古とされていた。けれどカラル遺跡から出た有機物でカーボンフォーティーンをかけると、4800年前のものと判定。これで周囲はどよめき、中南米最古、ひょっとして人類最古の文明が新大陸から生まれたのでは?とざわめきたった。

 

カラル遺跡が出てから、ペルー中央海岸には、またひとつ、またひとつと4500年前から5000年前の遺跡が発見され、天野博物館事務局長、阪根博さんが発掘するシクラス遺跡もまた5000年前の神殿だ。

 

1つじゃなく、何個も、何個も出る古代遺跡に、アンデス文化の起源は中央海岸だろうということで話はまとまりつつあった。カラル遺跡やシクラス遺跡からは、土偶や動物の骨、シクラスと呼ばれる縄は出てくるが、土器や織物は皆無。掘っても壁や部屋は出てくるが、5000年前は無土器時代だったのだ。

 

アルバ博士が朝、ホテルまで迎えにきてくれ、ベンタロン遺跡へ連れていってくれる。

 

何と贅沢で至福の時間が始まろうとしているのか。ペルーで最も有名な考古学者・アルバ博士じきじきに遺跡を案内してもらえるのだから。

 

「南米は大きい。でもランバジェーケ周辺は、谷、海、山のバランスが良かった」

 

ぼそっ、ぼそっ、とアルバ博士は大切なことを話してくれる。今日も白い帽子に上は白いシャツ、下は白いズボンの白一色だった。遺跡はやっぱり暑い。その対策で、黒系よりも白系で統一しているのだろう。太い腕に、銀の時計、右手薬指には金の指輪がはめられていた。

 

チクラヨの町を9時に出発。

 

さっきまで曇っていた空は徐々に回復し、太陽光が射してきた。今日も暑くなりそうだ。

 

見晴らす限りのサトウキビ畑が、眼前に広がり、その間を縫うようにオフロードをゆく。

 

ガタン、ガタン、ピシシ。車が洗濯機のように、上下左右に揺れる。これも遺跡へ行くときの醍醐味だ。

 

「博士、あの岩はいつの時代の遺跡ですか?」

 

「あれは形成期」。ということは3000年前の遺跡だ。が、誰も掘り下げていないのだ。

 

ペルー北部は、右を見ても左を見ても、そんなピラミッド型の山がごろごろあった。そして礫岩の砂漠地に、ぐっとひと際そそり立った山、それがベンタロン遺跡だった。

 

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車を止め、外に出ると、湿度を含んだ暑さが体を包んだ。

 

アルバ博士が先頭を歩き、僕たちは後につく。発掘している人たちが、アルバ博士に頭をさげ、秘密の扉が開かれる。中へ入ると、まず出てきたのは4000年前の綺麗な階段跡と精巧な作りの城壁跡。

 

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この遺跡から海までは15キロほど離れている。スロープ状の階段を登ってゆくと、そこにはしっかり保存されたピントゥーラがあった。大きなアドベで作った壁に、赤と白の彩色がなされている。白と赤と言えば、ペルーの国旗の色だった。

 

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「これを基にペルーの国旗が作られたのかしら?」

 

「国旗じゃなくて、これは蛇なのです」とアルバ博士が言う。

 

そうだ、何といっても、壁画の描かれたのは少なくとも4000年前なのだから国旗な訳がないか。

 

アルバ博士が、赤白岩のすぐ後ろで、止まった。

 

「これが、チャカーナ型の建物です」

 

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足元には、見なれたチャカーナ(インカの十字架で思想観を表しているとも言われる)の形が。

 

「げっ、やべえな」と阪根さんが呟く。

 

「だってさ、これって4000年~4500年前の遺跡だろ。その文明がこんなものを作っていたなんて信じられないよ」

 

世界遺産になっているエチオピアのラリベラ遺跡を想い浮かべて欲しい。あれは十字型の祈りの神殿だけれど、このベンタロン遺跡にはインカの十字、チャカーナの神殿が発掘されようとしているのだ。チャカーナの起源はボリビアのチチカカ湖沿いのティワナク遺跡だと言われているが、あるか前の4000年~4500年前にもうチャカーナはあったのだ。

 

今現在発掘されている遺跡の中で、最古のチャカーナがこの遺跡から発見された。それも神殿の屋根がチャカーナ型なんて・・・・・。

 

「はじめに言葉ありき」。阪根さんが聖書の有名なフレーズを口ずさむ。

 

「これさ、ひょっとしたら初めからコンセプトがもうあったのかもしれないな」

 

まさに失われたアークが隠されているといわれるラリベラ教会のアンデス版なのだ。眼下にはサトウキビ畑と、アルガロボの林が、大地にはトカゲが勢いよく砂塵を巻き上げ走ってゆく。

 

そして最上階まで上がると、神殿の全貌が見える。

 

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中では2人の男性が土を運びだし、一人が記録の絵を描いていた。

 

「あれが、見つけたばかりの壁画です」

 

絵を見た瞬間、僕はのけぞってしまった。何とそこには、4000年~4500年前に書かれた見事な絵が精巧に描かれていたのだ。

 

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「ここからだと遠いから、近くで見てみましょう」

 

何と言ってもアルバ博士の案内だから、何処にでも入れてしまう快感を味わいながら、僕の心臓は高鳴った。

 

階段を下がり、神殿内部へ。そして絵の前まで来ると、右の壁に黒いススが見えた。

 

「あれが、フォゴンです」

 

フォゴンとは火を炊いた跡のこと。

 

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それも時代時代に場所を少しずつ変えて、三段のフォゴンになっていた。火をたき、神と繋がる。まさに拝火教(ゾロアスター)だ。

 

これはカラル遺跡にもシクラス遺跡にもある。昔の人は、無土器時代の人々は、神殿の一番大切な場所で、神に近い場所で火をたいていたのだ。

 

「この絵はドラゴンですか?」

 

「いや、鹿だよ」

 

「鹿ですか? 博士?」

 

博士が絵の前にたって、ここが目、ここが頭、ここが手足と教えてくれると、なるほど鹿のような模様が浮かびあがってきた。

 

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「ますます、やっべ」

 

「何かあるんですか、鹿って?」

 

「ここら辺りの王様は、みんな網を使って鹿狩りをしてるんだよ。鹿の後ろのあの模様は網だから、この時代にもう鹿狩りをしてたってこと。つまり昨日や今日で鹿狩りなんて文化は出来ないから、ここはもっと古い時代の神殿っていう可能性が高い」

 

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「この壁画は全部で7色使われています。インカの旗、タワンティンスーヨみたいに」

 

インカの旗は、虹色の旗が正規のものとされている。

 

「博士、もしかしたら、インカじゃなく」

 

「マリコンじゃないよ」

 

次の瞬間みんなで笑い合った。マリコンとはおかまのこと。おかまの旗も虹色なのだ。

 

黄色、赤色、茶色、ネズミ色、黒色、白色、オレンジ色、確かに壁画には7色使われていた。

 

好きな映画にインディージョーンズがあるが、まさにアルバ博士は生きるインディージョーンズだった。黄金のシパン王墓から大量の金を見つけ世間を驚かせたと思えば、今度は北中南アメリカ大陸最古の遺跡を発掘しているかもしれないのだから。

 

アルバ博士の丸い後ろ姿を見ながら、僕は想っていた。

 

「王墓にも、この古代遺跡も、アルバ博士は呼ばれているのだ」と。

 

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アルバ博士の許可をもらい特別に撮影させてもらい、最後に遺跡の展望台へ。

 

北にまたピラミッドのような山が聳えているから、あれも遺跡なのだろう。

 

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ペルーって、何て凄い国なのだろう。21世紀を迎えても、まだまだ新しい遺跡がどんどん出てくるこの厚みのある文化、そして自然。

 

「これくらいの王国が無かったら、やっぱり今の美味いペルー料理は生まれなかったんだろうな」

 

阪根さんの言葉に、僕は妙に納得し、アルバ博士にチクラヨまで送ってもらった。

 

「もうすぐセニョールシパンの末裔が来るから、ほらあそこだ」

 

現れたのはルイス。シパン王墓の脇に新しく出来たワカラハーダ博物館の館長だった。

 

アルバ博士とはここでお別れ。がっちりと握手を交わすと「これからも良い旅を」と優しい言葉をかけてもらった。

 

これからは、博士の片腕・ルイスことルーチョに、バトンが渡された。

 

『現代のインディージョーンズ』

 

僕はアルバ博士を見ながら、口に出して言ってみた。

 

ノムラテツヤ拝

 

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左から阪根博氏、ルーチョ、アルバ先生、自分

 

2013年5月 5日 (日)

神々のひかり(地球風第22回)

 

      アラスカ(北米)

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北緯64度、アラスカ州フェアバンクス。

 

20132月、僕はオーロラの撮影のため、久しぶりにこの地を踏んだ。

 

早速出迎えてくれたのは、雪面の足跡。注意深く息を殺して追っていくと、その先には世界最大の鹿ヘラジカ(ムース)の姿。太陽の光に背中がキラキラと煌めいた。

 

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最初の夜、気温は-40度まで下がり、オーロラが揺れる。緑色の光の上に、赤色のオーロラも。今年は100年に一度の当たり年と言われるだけあって、幸先が良いようだ。

 

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2日目、3日目と、更にオーロラは力を増していく。

 

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天の川のように全天を駆けたかと思うと、

 

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今度はブラックホールのように変幻自在に姿を代え、

 

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天頂から投網をかけたように降りてくるコロナ現象も頻繁に起きる。

 

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そしてアラスカを発つ最終日の夜、今まで見たことのない深紅のオーロラが姿を見せてくれた。満月の周りには、暈(ハロー)がかかり、さらに幻想的に。

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この分だと2014年度のオーロラも期待できる。

 

帰り道、宙に浮かぶ要塞とも言える大きな山脈を見下ろす。敬愛する植村直己さんが眠る、北米最高峰のマッキンリーだ。

 

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自然はいつも最高の現象を見せてくれる。それぞれの人にとって、今一瞬のこの時に必要なものを用意してくれている。

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2013年4月28日 (日)

聖地巡礼(地球風第21回)

    ヨルダン(中東) 

 

 

ネボ山は、モーゼとエリシャが昇天した地であり、120歳のモーゼが弟子のヨシュアに全てを託した地でもある。

 

ヨルダンに来たら、是非とも見たいと思っていた。マダバ郊外へ出ると、ゴマ塩頭のような大地、低木疎林帯になってゆく。そこは命を寄せ付けない砂漠地帯のように見えた。車が大きく右折すると、山地が眼前にいきなり迫ってきた。砂丘のてっぺんに教会が建っている。参道を歩き、山頂へ進んでゆく。道は全てエルサレムストーンで作られていた。

 

ローマ時代に作られたモーゼ教会へ入ると、床や壁にモザイクのタイルがビッシリと貼り付けられていた。馬やラクダを引く人、ダチョウ、エイベックス、山羊を待つ老人、虎やライオン、イノシシなどを狩る人々が描かれ、ルビー色のモザイクに魅せられた。

 

目の前をアゲハチョウがふわふわと飛んでいく。ネボ山の頂きからは、最古の町・エリコ、死海、ベイト・シャンが見えた。地平線まで続く大砂漠を見ながら、エリシャ、モーゼは昇天されたのだろうか? 

 

涼やかな風が体をクルクルまわる。まるで風が何かを教えてくれるように、耳元をくすぐった。

 

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ネボ山から車で一気に駆け下りると死海がどんどん迫ってきた。砂塵が舞い、死海特有のブルーは、少しだけ霞んで見える。海抜0mを越えてマイナス地帯へ。

 

第二の目的地はヨハネがキリストに洗礼をしたというヨルダン川。車は首都のアンマン方面へ少しだけ戻り、バプティズム(洗礼)サイトへ行く。洗礼地にはエントランスの門がありそこで7ディナールほど払う。日本円にすると1200円。エントランス門にはヨルダン国旗がヒラヒラとはためいていた。

 

エリコから7km地点のヨルダン川でイエスは洗礼を受けた。ここはエリアの昇天地でもある。炎天下のメラメラした中を徒歩。汗が瀧のように吹き出してきた。ヨルダン川は昔、800m1kmもあったと言われているが、今は10mがいいところ。洗礼地には、木のシェルターが作られていて、3回教会がここに作られたという。洪水で壊れた教会の礎を、今も見ることができる。

 

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ヨルダン川を下ってゆくと、見慣れたダビデの紋章旗がひらめていた。もうこの10mしかないヨルダン川を渡ると、そこはイスラエル。ここは、まさしく国境だった。

 

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そして第三の目的地は、もちろん死海。

 

イスラエルは見事なリゾート地になっているのに対し、ヨルダン側はずっと素朴だった。海は完璧に凪いでいる。太陽が鏡のように映り、自分が入ると波紋が一つ、また一つと広がる。波紋が揺れ、そこに何個もの太陽が映り込んだ。

 

1930分過ぎ。夕日は対岸の山へ落ちようとしていた。陽の中にポツンポツンと建物が。エルサレムだ。黄、ピンク、青色が空へ広がり、天には半月が照り輝いた。

 

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翌日は、ヨルダンが世界に誇る世界遺産ペトラ遺跡へ。

 

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 ペトラの街並み

 

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  夜のペトラ遺跡

 

 

 

ペトラの至宝トレジャリーまでの道は、シークと呼ばれる岩の回廊へ通っていく。両脇から覆い被さるように岩が迫り、それらを合わせれば一枚岩に戻るのだろうか。まるで天然のジグゾーパズルみたい。

 

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砂漠色の岩が、ところどころ剥がれている。剥がれ落ちたところからは、ローズ色の岩が姿を見せていた。朱色、バラ色、肌色の岸壁。赤い地層が、まるで瀧のように上から下。右から左へ流れていた。そして岩と岩の隙間から、朝日を浴びたトレジャリー(エル・ハズネ)が姿をみせた。

 

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6本柱の2段構造。トレジャリーは崖を削り、彫り抜いた神殿風建造物で、幅30m、高さは45mもある。光を受けると、建物自体が薄いバラ色に染まった。トレジャリー(宝物殿)の名の由来は、上部に今でも宝が隠されていると信じられているから。中はまるで岩の地層博物館。一枚岩をくり抜いているから、それぞれの時代の地層が綺麗にマーブル模様を作っている。赤、朱、肌色、オレンジ、黄、山吹、赤褐色、それらが木目のように刻まれ、天井には燕が巣をかけていた。これらを作ったナパタイ人の死生観に、想いを馳せると、風に乗ってイメージが降り注ぐようだった。

 

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死海もそうだったが、ペトラもハエが多い。

 

イスラエル人ガイドが言う。

 

「ここのハエは対岸のヨルダンからやって来たものです」

 

それに対し、ヨルダン人ガイドもやっぱり

 

「ハエはイスラエルからやって来た」とやり返していた。

 

トレジャリーの右手の道をゆくと、2つの神殿形式の建物が現れた。近づいてみると、岩が剥がれ、中からはローズ色が顔を覗かせていた。つまり、今は砂漠の土色が主になっているが、これが作られた頃は、神殿は全てバラ色、ルビー色、ワインレッドだったのだ。水の力は、色を曲げ、亀裂を入れ、地層をむき出しにさせる。水の造形美は、そのまま地球の色の多様性に繋がっていた。

 

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ローズ色の階段を登ってゆくと、岩上で毛布を被って祈りを捧げている人がいた。休憩した時に耳を澄ませると、コオロギや鈴虫の声が聞こえてくる。バラ色の都市・ペトラ。さらに山の頂を目指すと、世界は、すべてバラ色に変化する。展望地からは、クムランのような礫砂漠が広がり、至る所に住居跡の穴が開き、現在も生活している人の姿。山羊が歩き、昔、川だった場所が、えぐるように削り取られていた。

 

石灰を含んでいる所は白色、硫黄などは黄色、鉄や銅の赤色。大地の成り立ちが、色を見れば浮かび上がってくる。

 

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現地に立って初めて感じられる風景。どれだけ本を読みあさっても、ガイド本を眺めても、感じられないもの。それは、この大地に吹く風のやわらかな感触や、乾燥した空気に微かに漂う緑の香りだろうか?

 

最後の坂を上り切ると、ペトラ最奥の修道院、エド・ディルが佇んでいた。

 

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2013年4月20日 (土)

いのちの楽園(地球風第20回)

    エクアドル(南米) 

 

 

エクアドルの首都キトから、飛行機でガラパゴス諸島へ向かう。空港のあるバルトラ島が見えてくると、左手に小さな火山が見えてきた。ガラパゴスは地殻変動によって形成された島々、今もその爪痕を至る場所で見ることが出来るのだ。

 

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バルトラ島から、ガラパゴス諸島唯一の町、プエルトアヨラへ。何度訪れても、このガラパゴス特有の海の色に見入ってしまう。

 

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ガラパゴス(スペイン語で陸ガメの意)と言えば、やはりゾウガメ。その中でも、ダーウィン研究所内のロンサムジョージはあまりに有名だ。世界一有名な亀は、2012624日永い眠りについた。

 

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ゾウガメは、歩くときに内またで歩く。のっそ、のっそと行く姿はまるで小さな恐竜だ。

 

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街中を歩くと、そこ、ここにイグアナが寝そべっている。友人が飼育しているイグアナで、ちょっとだけ撮影させてもらう。これぞガラパゴスケータイ。ふふふ。

 

 

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皆でゾウガメを間近で見つめる。時折、フゥーフゥーと吐く強い息に彼らの息吹を感じた。

 

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翌日から島々を巡った。真っ青な海に、オタリアが気持ち良さそうに泳いでいる。

 

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親子のオタリアは浜辺で、ゆったり日光浴。

 

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サンゴソウが、赤く色づき、黒い溶岩大地を華やかに飾る。

 

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そう、溶岩の島ガラパゴスには不思議な木がある。その名も恋する木。この樹皮を煎じて、好きな人に飲ませると・・・・

 

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嘘みたいな本当の話。ガラパゴスに住む人なら、一度や二度の経験が・・・

 

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連日のように船の周りには、イルカたちが遊びにくる。

 

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しなやかな泳ぎに見惚れながら、過ごす日々。

 

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最終日、見事な朝焼けが旅を飾った。

 

「ガラパゴスは死ぬまでに一度は行くべき場所だ!」と僕は思う。

 

                   ノムラテツヤ拝

 

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ホンカデザインセンターPresents
写真家・野村哲也 スペシャルブログ

ホンカログハウスに居住したことのある筆者が地球の息吹を綴ってゆきます
プロフィール
Author: 野村哲也
1974年12月13日生まれ。
岐阜県岐阜市出身。
高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、“地球の息吹き”をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。
2007年より、南米のチリに移り住み、四季を通してパタゴニアの自然を撮影。写真はCMや新聞、雑誌などに数多く掲載されている。今までの渡航先は85ヶ国に及び、海外の辺境ツアーガイド、TV局やマスコミのアテンドにも携わる。国内では幼稚園から生涯学習センターまで、幅広い年齢層に講演活動を続けている。2011年より南アフリカ、ステレンボッシュに移住

著書
「パタゴニアを行く 世界でもっとも美しい大地」
「世界の四大花園を行く 砂漠が生み出す奇跡」
(共に中央公論新社)
写真集「PATAGONIA」
「ペンギンがくれた贈りもの」
(共に風媒社)
~たくさんのふしぎシリーズ~
「砂漠の花園」
「100年にいちど咲く花」
「僕のデナリ国立公園ガイド」
(共に福音館書店)など多数